Airi Kinosita
あいりは平成10年4月10日 午後5時50分に生まれました。待ち望んでやっと授かった最初の子でした。
体重2950gの元気な女の子で皆で大変喜びました。「愛する宝物」という思いを込めて「あいり」と名づけました。


私達は大切に大切に慈しみ育ててきました。

あいりは家族思いで、2004年末のスマトラ島沖地震でお小遣いを寄付したりする心やさしい女の子でした。

弟が生まれると、忙しくしている母に代わってミルクを飲ませるなどして面倒を見、弟が成長して言葉を理解するようになると、
幼稚園や学校で教わってきたことをまるで小さな先生になったかのようにして話して聞かせてくれました。

母の日には自らパーティーを企画して「かたづけちゃお、かたづけちゃお」と自作の歌を弟と一緒に元気な声で歌い、紙のマイクで司会をしました。
最後に「今日は楽しかったですか。思い出にしてください」と、母に「お手伝い」や「肩もみ」の手作りのカードをプレゼントしてくれました。


母が体調を崩して寝込むと、母の身体を気遣って水や食べ物を枕元に持って来てくれました。

留守番を頼むと、その間に部屋を掃除してくれるなど気配りの出来る子でした。

将来は母と同じ「看護師さんになりたい」などと言って、将来への夢をふくらませていました。

絵を描くのが得意だったので、毎日のようにその日の出来事などを描いて笑顔で一生懸命話してくれました。

私達はそれを聞きながら日々成長していく姿を見て将来を幸多かれと願い楽しみにしていました。自分の命より大切な宝物で、
生きがいであり希望でもありました。私達はあいりの事を思い、涙する日々が続いています。

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生前のあいりは、3歳の頃から英語、ピアノなどの教室に通い、勉強好きのやさしくて、かわいい女の子で将来を大変楽しみにしていました。
家では弟と仲が良く、いつも遅くまで2人で楽しく遊んでいました。
今年の妻の誕生日の6月には、あいりが計画した誕生パーティーを家族みんなでやった事を思い出します。
あいりの主導で、自分で作詞した歌をピアノをひいて歌っていたのが忘れられません。
(2005年11月26日0時5分読売新聞より抜粋)

生前の「あいり」は、その日の出来事を毎日のように楽しく話してくれたものです。
私達はそれを聞きながら日々成長していく姿を見て本当に楽しみにしていました。
(2005年12月22日23時5分読売新聞より抜粋)

生前のあいりちゃんについて、「絵を描くのが得意で、2004年末のスマトラ島沖地震では、お小遣いなどを寄付したこともあった」との思い出を語り、
「あいりは自分の命よりも大切な宝物であり、生きがいでした。4月の誕生日は今まで以上につらい一日になった」と続けた。
(2006年5月19日13時17分読売新聞より抜粋)

裁判長が、あいりちゃんが「看護師になりたい」という将来の夢を述べ始めると、母親はハンカチで目頭を押さえた。
両親は、今も涙する日々が続き、数々の思い出がよみがえってくるという。
昨年7月、東京近郊のレジャー施設に車で出かける途中のできごともその一つ。
鼻血を出した弟の付き添いを頼まれ、あいりちゃんは泣きながら「死なないで」と小さな手を合わせて祈った。
その時から「人はなぜ死ぬの。死んだらどこに行くの」と両親にしきりに尋ねるようになった。
命の大切さを幼いなりに考え始め、7年の短い人生を終えたまな娘。
両親は、あいりちゃんのことを思うと、法廷で犯行時のことを「悪魔が入ってきた」などと言い訳するヤギ被告の態度を決して許すことができなかったという。
(2006年7月4日14時23分読売新聞より抜粋)

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